大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和44年(ネ)274号 判決 1973年1月30日

控訴人

野田ハルエ

右訴訟代理人

松村昭一

被控訴人

蔵森久次

右訴訟代理人

大石幸二

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金一〇万円およびこれに対する昭和三九年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

この判決は主文第二項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

第一農地引渡請求について

一本件農地が被控訴人の所有であること、控訴人が本件農地を耕作して占有していることは当事者間に争いがない。

二そこで控訴人の抗弁について判断する。

(一)  控訴人は、本件農地は控訴人が被控訴人より耕作のため賃借しているものである。もつとも右賃貸借については農業委員会の許可を受けていないが、控訴人は被控訴人より賃借して以来、永年継続して本件農地を平穏、公然と耕作しているから、本件農地は農地法六条五項のいわゆゆる看做小作地に該当し、控訴人は右小作権に基づいて本件農地を占有する権利があると主張する。

ところで、農地法六条五項の規定の趣旨は、所有者またはその世帯員でない者が平穏、公然と耕作の事業に供している農地は、同法八条以下の規定による買収の関係についてのみ小作地とみなされ、買収処分の対象となるという趣旨に止まるのであつて、看做小作地の耕作者に農業委員会の許可のある賃借権と同様の所有者に対抗し得べき占有権を付与するものではないから、控訴人の右抗弁は主張自体失当であるといわねばならない。

(二)  控訴人は、本件農地は控訴人が被控訴人より昭和三一年六月ごろ、農業委員会の許可を受けることを停止条件として、被控訴人の負担すべき固定資産税等を小作料の代りに控訴人において負担する約束で賃借したものであり、控訴人は右停止条件付賃借権に基づいて本件農地を占有する権利があると主張する。

しかしながら、農地の賃貸借は農業委員会の許可があつてはじめてその効力が生ずるのであつて、かりに本件農地について控訴人主張のような停止条件付賃貸借が成立したとしても、農業委員会の許可のあつたことの主張、立証のない本件においては、控訴人は本件農地を占有する権限を有せず、したがつて控訴人の右抗弁も主張自体失当であるといわねばならない。

(三)  つぎに、控訴人は、右賃貸借契約が農業委員会の許可があるまでは効力がないとしても、控訴人は被控訴人との右合意に基づき、一〇数年間本件農地の耕作に専念し、農地の維持、生産力の向上に努力してきたのに、被控訴人は控訴人にその間本件農地の耕作をゆだねながら、控訴人と協力して農業委員会の許可を受くべき義務を履行することなく、本件農地の引渡を求めることは権利の濫用であつて許されないと主張する。

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1 控訴人と被控訴人とは姉弟の関係にあり、本件農地はもと控訴人、被控訴人らの亡父蔵森松蔵の所有であつたが、昭和三二年一月二四日、福岡家庭裁判所柳川支部における遺産分割の家事調停により、大川市大字大橋字長納六九三番の一、田二反一歩とともに被控訴人の所有となつたこと(なお本件農地が被控訴人の所有であることは前記のとおり当事者間に争いがない。)

2 被控訴人はそれ以前の昭和二九年ごろから福岡市綱場町六番一〇号に家族とともに居住し、同所において洋服生地等の販売業を営んでおり、当時亡父松蔵の遺産(主として農地)はすべて被控訴人らの長兄訴外蔵森茂造において事実上管理耕作していたが、被控訴人が前記遺産分割の家事調停を申し立てた目的は、分割によつて得た農地を前記営業資金に利用するためであり、現に右遺産分割直後、被控訴人は右分割によつて得た前記大川市大字大橋字長納六九三番の一の農地を訴外柿添茂に売却し、右売却代金を前記営業資金に利用していること

3 被控訴人は前記家事調停により本件農地と前記柿添茂に売却した農地とともに取得した当時、福岡市に居住して前記営業に従事し、右農地を自作することができなかつたばかりでなく、農業委員会に賃借権等の権利設定の許可申請手続をすると、不在地主の小作地として右農地を買収されるおそれがあつたため、右家事調停成立直後、右農地の近くに居住していた控訴人に右農地の耕作を依頼し、家族の住民登録は福岡市に移したが、自己の住民登録のみを控訴人方の同居人として右農地の所在地である大川市内に残し、大川市農業委員会に対しては表面上右農地が被控訴人の自作地であるように装つたこと

4 控訴人は被控訴人から右農地の耕作を依頼された当時、未亡人で二人の子供を抱えていたが、果樹の栽培を営み生活のめどもついていたので、被控訴人の右申出を一応拒絶したものの、被控訴人から将来本件農地の一部を贈与してもよいから是非耕作してもらいたいと依頼されたので、それまで営んでいた右果樹の栽培を止め、被控訴人からその返還を請求されるに至つた昭和四二年までの約一〇年間、専ら右農地(被控訴人が柿添茂にその一部を売却した後は本件農地)の耕作に従事し、その間右農地の固定資産税、水利地益税、土地改良区費等を被控訴人名義で支払い、右農地から収穫した米も被控訴人名義で供出するなどしたが、控訴人の支払つた右固定資産税等は右農地の小作料に匹敵する額であつたこと

<証拠判断・省略>

以上認定の事実によれば、被控訴人は本件農地を取得する以前から本件農地の所在する市町村の区域外に住所を有する不在地主であること、被控訴人は本件農地を取得して以来全く自作したことはなく、専ら控訴人がその耕作に従事し、被控訴人よりその返還を請求されるまで約一〇年間平穏、公然とこれにあたつてきたことが明らかであつて、被控訴人と控訴人との間の本件農地の使用関係が単なる管理の委託にすぎないか使用貸借あるいは賃貸借にあたるかはしばらくおき、少なくも控訴人の本件農地の耕作は被控訴人からその返還を請求されるまでは農地法六条五項の看做小作地に該当し、同法八条以下の規定によつて当然控訴人に譲り渡すか国に買収される関係にあつたものであり、右事実に前記認定の被控訴人が遺産分割により本件農地を取得するに至つた動機、被控訴人が控訴人に本件農地の耕作を依頼した動機、控調人と被控訴人との身分関係、控訴人としては将来被控訴人から本件農地の一部の贈与を受けられるものと期待して本件農地の耕作に専念してきたこと、被控訴人は現在なお福岡市内に住所を有し前記営業に従事して本件農地の返還を受けても直ちにこれを自作できるような生活状況ではなく、むしろこれを他に有利に売却して前記営業資金に利用するのではないかと推認されることなどをあわせ考えると、控訴人において被控訴人に対し農地法三条一項所定の農業委員会の許可申請手続をするよう働きかけた事実がなく、したがつて控訴人は本件農地に対する使用収益関係の設定について右農業委員会の許可を受けていないものであるとしても、被控訴人が控訴人に対し、所有者であることの一事に基づき、農業委員会の許可のないことに藉口して(農業委員会に許可申請手続をすると、不在地主の小作地として国に買収される関係にあつたものである。)、本件農地の返還を求めることは信義誠実の原則に反し権利の濫用として許されないものといわねばならない(尤も、農地法三条が公益的規定である点から考えると、農地の違法な移動を信義則違反、権利濫用の法理で是認することは、たやすく許されないであろうが、控訴人が被控訴人の実姉でしかも未亡人という関係にあるうえ、被控訴人の意思に基づいて、表面上は被控訴人の同居の親族として、控訴人が事実上被控訴人に代つて本件農地を永年にわたり耕作して来ているものであることは前認定のとおりであるから、本件の場合、本件農地に対する控訴人の耕作は、純然たる第三者に対する耕作権の設定の場合と比較して、その違法の程度は極めて軽微であるというべく、右事情にさらに前認定の本件諸般の事情一切をあわせ検討すれば、前記信義則違反、権利濫用の法理の適用は当然是認されるべきものと考えられる。)。

三よつて、被控訴人の控訴人に対する本件農地の引渡請求は、控訴人のその余の抗弁について判断するまでもなく、失当である。

《以下省略》

(松村利智 塩田駿一 境野剛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例